“母親の理性”は案外脆い
“わたしもなつみも、あなたが幸福って名づけたパズルの、ピースのひとつだったのかもしれない”
物語に登場する莎織もまた、夫との離婚を決意する。だが、物語は離婚する寸前で立ち止まるかのように終わりを迎えた。私自身もまた、この時は結局、離婚をするに至らなかった。これからは変わる。そっちの話をちゃんと聴く。そう繰り返す元夫の言葉を、私は信じた。
実際、元夫はこの後、変わる努力をしてくれたように思う。「育児に参加する」ことの本当の意味を理解し、徐々に家事も手伝ってくれるようになった。私の話を無碍にすることなく、耳を傾けてくれることも増えた。やり直せるかもしれない。そんな淡い期待と拭いきれない不安が交錯する日々の中で、息子も少しずつ大きくなった。
長男がようやく3時間以上まとまって眠るようになったのは、1歳を過ぎた頃だった。夜泣きそのものがなくなったのは3歳を過ぎてからで、2歳の頃には夜驚症にも悩まされ、私と元夫は終始へとへとだった。
長男は紛れもなく「育てにくい子」だったが、私たちは揺るぎなく彼を愛していた。それは決して過去形ではなく、現在進行形である。子育てにおいて、「愛してる」と「大変」は相反するものではない。
一線を踏み越える母親と自分との境界線など、せいぜい薄皮1枚だ。元夫に「用済み」と言われた夜。「母親失格」と蔑まれた朝。1時間以上泣き続ける息子に辟易した夕方。危うく踏み越えそうになった回数など数えきれない。なぜ踏みとどまれたのか、問われても答えようがない。ただ、“母親の理性”という頼りないものだけに任せる育児は、いつ歪みが生じてもおかしくないのだと、それだけは伝えておきたい。
“一番支えてほしかった人は、逆にわたしを追い込む人だった。”
子を産んだ母親にこんなことを言わせないためにはどうすればいいのか、母親のそばにいる人間は真剣に考える必要がある。子は、1人では授からない。母親だけにすべてを背負わせるのではなく、共に悩み、共に歩んでこそのパートナーだと私は思う。
※引用箇所は全て、天童荒太氏著作『あふれた愛』収録作品「とりあえず、愛」本文より引用しております。