行軍の可否
田んぼを3種類に分類したことは、日本の農業の変遷を調べるためには有用なのだろうが、その理由は実は別のところにあった。明文化されたものを読んだことはないが、国土地理院の前身が陸軍の陸地測量部にあったことからわかるように、陸軍部隊の行動に役立てるためという。
乾田であれば歩兵部隊や軍馬にその上を歩かせることができるが沼田では無理という具合に、これによって行軍の可否を判断する。これは他の記号の話だが、戦前の図式までは、通過が困難な森林などには、その記号と同数の小さい点を打つ決まりがあった。それと同様であろう。
ちなみに3種類の田の記号は戦後の「昭和30年図式」(この図式のみ水田を「湿田」とした)まで引き継がれたが、その後の「昭和35年加除式」では水田(後に「田」)の一種類に統合されている。
同「30年図式」からは3色刷であるが、他の耕地関係の記号が墨であったのに対して田の記号だけは青色が採用され、それはその後の5万分の1、2万5千分の1から現在のネット版「地理院地図」にも引き継がれている。
なお、「田」の記号は稲を育てる田んぼだけに適用されるのではない。現行の「平成25年図式」に「水稲、蓮、い草、わさび、せり等を栽培している土地に適用し、季節により畑作物を栽培する土地を含む」とあるように意外に範囲が広い。
たとえば二毛作で稲刈りの後に麦を育てていても、レンコンであっても、とにかく水を張る形状の耕地であればよいということだ。長野県安曇野(あずみの)市の有名なわさび田にも、地形図上は当然ながら田の記号が広がっている。
※本稿は、『地図記号のひみつ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)
学校で習って、誰もが親しんでいる地図記号。地図記号からは、明治から令和に至る日本社会の変貌が読み取れるのだ。中学生の頃から地形図に親しんできた地図研究家が、地図記号の奥深い世界を紹介する。