行けるところまで行ってみよう

若い頃にね、今所属している松竹芸能の前にいた事務所の社長さんから言われたことがありましてね。

「若いうちに売れて、チヤホヤされたいやろ?周りがうらやましいやろ?でも、人生そこからどれだけの時間があると思う?いったん売れて歳を取ってから落ちていくほどつらいことはない。若い時には明日がある。一生懸命に積み重ねる。そうすればどこかで花が開く。その結果、40歳、50歳で売れたら最高やで。先の計算も立てやすいし、それまでに蓄えてきたものをそのままやったらエエんやから」

今思い出しても、ホンマにその通りやと思います。だからね、他の事務所でも若い子には「辞めたらアカンで」とずっと言ってきました。

(撮影◎中西正男)

もちろん、売れるとは限らないし、辞めることに意味もあります。でも、続けていない限り、絶対に売れない。そして、続けるなら情熱を持って続ける。もし別の人生を歩むことになっても、その積み重ねはどんな人生においてもムダにはならんと思います。

今年11月で77歳になります。否応なく先のことも考えます。どんな引き際がいいのかと。まだできるうちに辞めるのも考え方だろうし、ここは美学の領域なんだと思います。

でも、幸い、ウチはまだ二人とも漫才ができている。だったら、もうちょっとやってみようか。それが今思っているリアルなことでもあります。そして、みんなにずっと言ってきた「辞めたらアカン」の言葉が、今は自分の背中を押しているような気もしています。

無理やりカッコつけるわけではないですけど(笑)、なんとか、行けるところまで行ってみよう。そう思っています。

海原かなた(うなばら・かなた)
1947年11月12日生まれ。奈良県出身。本名・西尾伊三男。松竹芸能所属。68年、俳優養成所「明蝶芸術学院」に入学。70年に「明蝶―」で知り合ったはるかから誘われ「海原お浜・小浜」門下に入り「海原はるか・かなた」を結成。若手時代はアイドル漫才師的な扱いを受けるも、賞レースで結果を残せない時期を過ごす。2000年頃、楽屋での芸人同士の会話の中ではるかが薄毛だったことが話題になり、それをかなたがネタの中でいじったことがきっかけで髪を吹くムーブが出来上がっていく。