中世以降に社会の変動を牽引したのは貴族か武士か

日本史、とくに東京の研究者は、武士の役割を重視しすぎてはないか。

そう注意を喚起されたのは、社会学者で国際日本文化研究センターの所長を務めていらっしゃる井上章一先生です。先生の『日本に古代はあったのか』(2008,角川選書)などはほんとうに名著ですので、ぜひ一読下さい。

さて、この本の中にも記されている「日本史における京都・朝廷の重要性をもっとしっかり認識すべきである」という主張は説得力があり、特に東京生まれ・東京育ちである自分は、その視野の狭さを大いに反省したのも事実です。

実際、そこでの反省などもあって、ぼくも「日本の歴史は均一ではなく、『西高東低』が基本的なムーブメントである。東が優位に立つのは、早くても江戸後期、文化文政の文化が誕生して以降であろう」というような歴史解釈に立っています。

ただし、「中世以降に社会の変動を牽引したのは貴族か武士か、朝廷か幕府か」ということになれば、ぼくはやはり武家勢力であると考えます。

というのは、良くも悪くも武士は「在地領主」という学術用語が示すとおり、地方の代表と見なせるのに対し、平安時代後期からの貴族には、庶民との接点を見出すのが困難だからです。