それはハラスメントか? 愛なのか?
九重親方の言う「眼だけで殺されそう」というのは、とんでもない厳しさですよね。
「頭をどうにかして来い」と言われて、頭を剃って来るのも、いまこれを学校でやったら、大問題になりそうです。でも、九重さんの話からは、ハラスメントのにおいは微塵も感じられません。
なぜか? おそらく「この人の下で、俺は生まれ変わるんだ」という言葉が示す通り、主体が自分にあるからだと思います。
ところが、暴力や暴言は、これとは正反対です。主体が指導する側にあるのです。体や精神を痛めつけることで、相手を自分の意のままにコントロールしようとする。つまり、主体は指導者にあると言えます。
この“主体性がどこにあるか? ”ということは、「厳しさは悪か?」を検証するうえで、とても重要なポイントになると思うのです。
見出しにある「ハラスメントか? 愛なのか?」への答えは、簡単に言えるものではありません。
ですが、やはり厳しさの中に「相手をコントロールしよう」という意図が隠れていれば、受け手は「パワハラだ」と感じるし、「相手を成長させよう」という想いがあり、それが伝わるなら「愛だ」と感じるのではないか、と思うのです。
※本稿は『活の入れ方』(幻冬舎)の一部を再編集したものです
『活の入れ方』(著:工藤公康・九重龍二・藤平信一/幻冬舎)
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