「道」を究める

初日の前日の9日に、私は近くのコンビニで和菓子やスナック菓子を買い込んだ。昭和20年3月10日、東京大空襲により約10万人が亡くなった。父の両親と妹も亡くなっているので、仏壇にお菓子を供えるためだ。私の母は下町の高等女学校の生徒だった。

米軍の爆撃機B29が焼夷弾を落とす中、弟と共に逃げまくり、国技館(旧)が燃えているのを見て「日本はもうだめだ」と思ったが、また相撲部屋のある街に住み、大相撲を見たい、という思いを胸に、耐えたそうだ。

母は大火傷を負い、現在の両国国技館の近くの両国駅の傍に弟とうずくまっている時に、はぐれてしまった父親が見つけてくれたそうだ。

母は大相撲を人生に活かしていた。60代の後半に、9歳年上の夫が難病で体が動かなくなった。おむつを嫌がる夫を、相撲の技を使ってトイレに連れて行き、腰を痛めることがなかった。これは母が独自に究めた「介護道」だと思った。

私は一人暮らしになっても、母が頼んでいた生協の宅配を利用している。配達員さんは長年同じ人で、私がいる時は、玄関で大相撲の蹲踞(そんきょ)の姿勢になり、外に置いた箱から野菜やら生活用品を出して、床に並べてくれる。

その動きが美しく、聞いたら腰を痛めないためなのだそうだ。配達員さんが独自に生み出した「宅配道」だと思った。

「道」を究めることは、日常生活でもできる。家の近くに車が多く通るのに信号機がない横断歩道がある。手を挙げて車を止めても、バイクが追い抜いて危ない時がある。渡るのには技術がいり、その道を究めることを私は「横断歩道」と名付けている。

体に負担のかからない正しい歩き方を究める「歩道」、規則を守る「自転車道」、水道の水を無駄にせず、水道料金を抑える「水道」など、生活のいろいろな場面で「道」を究めたい。

「横断歩道」、「水道」など日ごろ使われている言葉だからややこしいが、「相撲道」と同じく、あくまでも究めるための「道」(どう)なのだ。

今場所はどの力士が「優勝道」を究めるか?幕内はもちろん、若隆景と伯桜鵬のいる十両の「優勝道」にも期待したい。

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