赤字でも信玄堤を築いた理由

さらにバスは一路、甲斐市の信玄堤公園へ向かいます。

信玄堤は、釜無川と御勅使川の治水を行うために信玄が築いたとされる堤防。今も現役で機能しており、市民を水害から守っているそうです。

信玄堤から甲府盆地を眺める(写真:婦人公論.jp編集部)

先生いわく「近辺での石高と、工事にかかったコストを単純に比較すれば、おそらく大変な赤字だった。それでも信玄が着手したのはなぜか? 甲斐の領民を守りたいという強い気持ちを、ぼくはそこに感じる」とのこと。

堤の上からの雄大な景色も相まって、信玄の大きさをあらためて感じるお話です。

なお、ツアーに同行したコンダクターさんは「寒風吹きすさむ河原で、しみじみと小一時間。歴史好きなみなさんの高みまで私はたどり着けそうにない…」ともらしていました。

これにて2日目の前半は終了。後半は信玄の後継者・勝頼の歩みに沿ってツアーは進んでいきます。

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