死は、好ましいものとして映ってもいた

医者の家に育ったことも、死をあっさり受けとめたいと願う態度につながっているのかも知れない。

私の父は、困難な条件の下で医業を続けてきた。人里離れた開拓団の医者だったから、入院室などは持ち得ず、家族の住居はそのまま病院だった。重病人がやってくると、同じ屋根の下に置くしかなかった。

日本へ戻ってからも、貧乏だったので病院が建てられず、便所の横にあった狭い、私の勉強部屋は、しばしば手術室になった。

小さい時から人の死に接しているので、死を、普通のものとして受けとめようとする習慣が身についているのだ。

病人が家の中で苦しんでいる。その病人に死が訪れると、家の中の空気まで変わる気がした。丁度、細胞の死と同じように、空気の顆粒(かりゅう)が呪縛から解き放たれ、本来の軽やかさを取り戻した気がした。

病人の肉体だって、もう、闘う必要がなくなって、ゆったりと手足を伸ばしていた。死は、好ましいものとして映ってもいた。

そういう受け取り方は、しかし人の社会の中では、特殊なものであるようだった。私は祖父、祖母の葬式にも列席しなかった。僅(わず)かに、自分の父の葬式に座っただけだった。

※本稿は、『ムツゴロウ麻雀物語』(中公文庫)の一部を再編集したものです。


ムツゴロウ麻雀物語』(著:畑正憲 /中公文庫)

動物との交流も麻雀も命がけ。「勝負師」ムツゴロウと卓を囲んだ雀士たちの、汗と涙がにじむ名エッセイ。〈対談〉阿佐田哲也 〈巻末エッセイ〉末井 昭