畜生め

私はシャーレやフラスコを片付けた。飼っている無数の細胞たちに、餌(えさ)である培養液を与えた。

表に出ると、始発の都電が待っていたが、それには乗らず、風に吹かれるようにして歩いた。銀杏(いちょう)並木が季節を教えてくれ、牛乳配達の荷台では瓶がなっていた。

畜生め、と思う。生きている細胞って奴は何と分かり難い動きをするのだろう。

それに比べれば、細胞が死ぬ時には、みんな同じ表情になった。粒の動きがふっと停まり、全体として、かたく、黒い感じになる。それから膜がゆるんで、中に含まれている無数の粒は、自分勝手に原形質の中に浮くようになる。生きているという呪縛(じゅばく)から解き放たれて粒がよろこんでいるようにも見えた。

私は立ちどまり、何度も何度も、細胞が死ぬ瞬間を思い起こしたものだった。そのような朝が、何年も続く青春だった。