他社との競争

小田急の存在感を一気に高めたのは、1957(昭和32)年6月のロマンスカーSE形の登場である。

箱根観光のための、特別な速達型車両として注目を集めた。

また、連接車(れんせつしゃ)(複数の車体をつなぎ、一体のものとして運用する車両)の8両編成という、画期的な車両も高く評価された。

この車両を導入することで、小田急のイメージは非常に高いものとなる。その後、ロマンスカーは優(すぐ)れた私鉄特急として、名声を保ち続けている。

豊かさにあふれた沿線、走るのはロマンスカー。小田急はイメージづくりに大成功し、戦前からつちかってきた鉄道を中心とする複合ビジネス企業としてのノウハウを生かし、沿線をさらに発展させた。

「関東における沿線開発のノウハウは、東急グループが随一(ずいいち)だ」とは一般的によくいわれる話であるが、小田急は箱根や江ノ島といった観光地が目的地として存在する。

箱根観光のための、特別な速達型車両として注目を集めた(写真提供:Photo AC)

豊かさにあふれる地域と、その先に観光地があるという特性から、都心へ向かうだけではない需要もあり、その特性を生かした企業活動を行なっている。

また、他社との競争を制し、都市鉄道と観光輸送を両立させているということも特記すべきだろう。

箱根では小田急と東急が手を組み、進出してきた西武グループと観光開発などの競争を行なった。

その熾烈(しれつ)さは、作家の獅子文六(ししぶんろく)が『箱根山』という小説にしたほどである。