『沿線格差』という言葉を目にすることが増えましたが、フリーライターの小林拓矢さんいわく、「それぞれの沿線に住む人のライフスタイルの違いは、私鉄各社の経営戦略とも深くかかわっている」のだとか。今回はその小林さんに「小田急電鉄沿線の魅力と実情」を紹介していただきました。小田急電鉄は、当時の水準としては工事が手早く行なわれ、しかも線形のいい路線だったそうで――。
小田急電鉄沿線の魅力と実情は?
小田急電鉄は、利光鶴松(としみつつるまつ)が鬼怒川(きぬがわ)水力電気の子会社として設立したのが始まりだった。
小田急の特徴として、中心となる小田原線を1927(昭和2)年4月に開業、同年の10月には全線を複線化した。
主要な支線である江ノ島線は1929(昭和4)年4月に開業し、こちらは当初から全線複線だった。
小田急電鉄は当時の水準としては工事が手早く行なわれ、しかも線形のいい路線であった。
新宿と小田原を高速で結ぶという使命を持ち、開業して1年も経たないうちに急行列車を運行するという積極的な姿勢を示した。
成城学園や林間都市の開発にも着手し、子会社の帝都電鉄(現在の京王井の頭線)も開業する。
小田急は、鉄道の速達性を重視し、沿線開発にも創業期から熱心であり、きわめてビジネスへの意識に富んだ鉄道会社といえる。
北側を走る京王電鉄と比べても、その差は大きい。京王が時間をかけて沿線開発を行なったのに対し、小田急は創業当時から沿線開発に熱心だった。
このあたり、利光鶴松が電力会社経営者で、起業家精神が旺盛(おうせい)だったという背景がある。