鉄道を中心とした複合ビジネス

戦前の電力事業は、電力自由化前の規制事業とは異なり、自由に事業を起こすことができた。

戦時下で電力が国家管理されるまでは、鉄道会社と電力会社を一緒に営んでいる事業者が多かった。

東急の五島慶太(ごとうけいた)ほどではないにせよ、鉄道を中心とした複合ビジネスというモデルを意識していたのが小田急である。

そのような経緯もあってか、沿線の住環境はすこぶるよい。

甲州街道沿いの京王電鉄のように、古くからの地域を通っていないため、イチから沿線をつくるということになった。

学校を誘致し、住宅地を開発し、多摩ニュータウンの開発の際には新線を建設した。

『関東の私鉄沿線格差: 東急 東武 小田急 京王 西武 京急 京成 相鉄』(著:小林拓矢/河出書房新社)

戦時下で小田急は「大東急」に編入されたものの、1948(昭和23)年6月に独立。その年のうちに小田原への特急を運行するようになった。

1950(昭和25)年8月には、箱根登山鉄道の箱根湯本乗り入れもスタートした。

このあたりから、沿線環境の豊かさだけではなく、箱根観光の楽しさも企業活動の重要な要素となっていった。