(撮影:本社編集部)

 

 

 ぽっかりと空いた空白を埋めるように、近況を報告し合った。なにせ十年分だから、二時間もの長電話になってしまった。

 タカエは結婚して、八歳と五歳の男子の母親になっていた。長男のときは待機児童対策が今よりまだ進んでいなかったが、妊娠初期の段階からいわゆる保活を始め、見事第一希望の園に入れたという。

 保育園と介護施設という大きな違いはあるものの、情報収集のしかたや戦略面では、似たところがありそうだ。できれば顔を合わせて、話を聞いてみたいところだけれど。

 あちらはフルタイムで働く会社員。しかも小さな子供がいるとあっては、時間などいくらあっても足りないだろう。明日美の休日は火曜のみだから、ますますタイミングが合わせづらい。

 一方的に連絡を絶っておいて、今さら「懐かしいから会いたい」ってのもねぇ――。

 赤羽一番街の通りに入ると、むわっとした大気の中を酔客たちが、回遊魚のように泳ぎ回っている。居酒屋の軒先で揺れる提灯に照らされながら、明日美もその中にすっと馴染んで歩いていった。

 

 夕飯は、モツ煮込み丼を手早く掻き込んだ。

 食休みの暇もなく明日美はエプロンをひっ掴み、ホールに入る。料理を運ぶのも大変なくらい、店内は客であふれ返っていた。

 こんなときにかぎって、常連の「タクちゃん」は飲みにきていない。ホールで孤軍奮闘していたアルバイトのキョウヤが、明日美の加勢に頬を緩める。

「ああ、明日美ちゃん。俺、チャーハン稲荷ね」

「はい、まいどぉ」

 明日美の顔と名前を、憶えてくれた常連もいる。客あしらいも、堂に入ってきたのではないかと、我ながら思う。釣り銭の計算だって、めったなことでは間違えない。

 もうすっかり、明日美は「まねき猫」の一員となっていた。

 閉店時間が近づくごとに、客がぽつりぽつりと減ってゆく。最後のひと組になったところで、求が厨房を片づけはじめた。

「キョウヤ、もう上がっていいぞ」

「あ、はい。お疲れ様でした」

 ぺこりとお辞儀をし、キョウヤがエプロンを外す。「お疲れ様」と返しつつ、明日美はそれを受け取った。

「ご馳走様」

 キョウヤが帰ったのを機に、最後の客もテーブルを離れる。「ありがとうございました」と外まで見送り、ついでに表のシャッターを半ば下ろしておく。これでもう、新規の客は入ってこない。

「やれやれ」

 忙しなく動き回ったせいで、足がだるい。明日美は店内に戻ると、カウンターに両手をついてアキレス腱を伸ばした。連動して、腰や肩にも軋みを覚えた。

「明日美さん、ちょっといい?」

 閉店後の掃除に入る前に、ひかりが厨房から声をかけてくる。あらたまって、どうしたのだろう。

「はい、なんでしょう」

 先を促すと、ひかりはこちらの顔色を窺うようにして切りだした。

「取材の依頼が、入ってるのよ」

 詳しく話を聞いてみれば、街ブラ系のウェブ媒体だという。サイト内検索も充実しており、たとえば「赤羽 居酒屋」と打てば目当ての記事にヒットする。赤羽といえばせんべろ居酒屋のイメージが定着しているぶん、PV数も見込めるとのことだった。

 スマホを取り出し教えられたサイトを覗いてみれば、運営元は街ブラ雑誌を出している出版社だ。それだけにサイトの作りは凝っていて、しかも見やすい。まさかそんなところから、取材依頼がくるとは思ってもみなかった。

「そんなわけだけど、どうする?」

「どうするって言われても」

 実質的に、店を切り盛りしているのはひかりである。それでも店長代理は、明日美ということになるのだろうか。遠慮がちな言い回しに、首を傾げる。

 ああ、そうか――。

 ふいに、思い至った。時次郎が倒れて間もないころの明日美なら、「取材なんてとんでもない!」と突っぱねていたはずだ。

 この店の存続を認めたのは、不承不承。なし崩し的な経緯だったものだから、ひかりは今も明日美の意向を気にしているのだ。

「取材、いいと思いますよ」

 するりとそう、答えていた。なんの抵抗もなく言えたことに、明日美自身も驚いた。

「本当に?」

 ひかりが疑うような眼差しを向けてきた。戸惑いつつも、「ええ」と頷く。

「構いませんよ。店が繁盛してくれないと父の入院費用が払えないし、借金も返せませんからね」