94年、イギリスに留学していた時の萬斎さん。27歳(写真提供◎万作の会)

三谷さんの芝居はカルチャーショック

第2の転機は萬斎さん27歳(94年)の時、文化庁芸術家在外研修制度でロンドンに留学して主に演出法を学んだこと、かと。

――ええ、あの頃からワークショップということが盛んになってきて、テアトル・ド・コンプリシテ(共犯者)という劇団のサイモン・マクバーニーのワークショップにはずいぶん影響を受けました。ここには狂言に近い身体的要素もありましたからね。

一方、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのオブザーバーとして稽古場をよく見に行ったりもしましたけど、こちらはシェイクスピアの王道で、〈喋る演劇〉として典型的なイギリス演劇を学びました。

ワークショップでは海外の方に英語で狂言を教える経験も。狂言の演技術や演出法を分析して、これをどうほかに生かせるかを考えたことが、その後に繋がっていきます。

そして帰国後に作ったのが『まちがいの喜劇』を翻案した『まちがいの狂言』になるんですが、それをロンドンのグローブ座で2001年に上演。02年に凱旋公演をし、その結果、世田谷パブリックシアターの芸術監督に就任という流れになったわけですので、留学は転機でしたね。