留学の成果の一部は、三谷幸喜作・演出『ベッジ・パードン』(11年)に出演した折にも表れている。

萬斎さんが「ロンドンの下宿先の部屋の絨毯が張り替えられたばかりで、とても土足で出入りする気にならなかった」と三谷氏に話したところ、早速それがロンドン留学中の夏目漱石(萬斎さんの役)が、お客に靴を脱ぐように求める設定として活かされていた。

――三谷さんの芝居に出るってことが、僕にとっては一種、転機に近い、カルチャーショックでしたね。それまで現代劇といってもシェイクスピアくらい。蜷川さんの『オイディプス王』というギリシャ劇にしても、どちらかと言えば時代劇なんですよね。まして木下順二作『子午線の祀り』の平知盛役となれば、アドバンテージはこちらにありますよね。

ところが三谷さんの『ベッジ・パードン』となると、共演者が大泉洋君だったり、ミュージカルのトップスター浦井健治君だったり、浅野和之さんに至っては11役もつとめて――これ、漱石がロンドンで出会った人々がみんな同じ顔に見えた、っていう設定なんですね。それにベッジという漱石の下宿先のお手伝いさんが深津絵里さん。

こういう方たちは三谷さんが割合よく起用する、言わば彼にとっての〈お気に入りのおもちゃ〉(笑)。僕は三谷さんの芝居は初めてだったので、彼も「これはどう使えばいいおもちゃなのかな」と考えたのでしょう。

公演が終わる頃、「萬斎さんに絶対やってもらいたい役がある」と言われた。それがテレビドラマ「勝呂武尊(すぐろたける)」シリーズ、アガサ・クリスティー作品を原作とした三谷版のポアロ役なんです。

探偵役は非常に個性的な、絶対的存在感が必要という信念が三谷さんにはあり、たとえば『古畑任三郎』の田村正和さんみたいに、ほかとは交わらない強烈な個性がないと成立しない。

「だから萬斎にポアロを」となるんですが、原作のポアロはベルギー人という設定で、これはヨーロッパ社会では少々浮いた存在なんですね。それを出すためにちょっとしゃくれた喋り方をして、びっくりされたようですけど、おかげさまでシリーズ三弾まで行きました。

<後編につづく


2024年3月29・31日に東京・国立能楽堂にて野村萬斎さん主宰の狂言会「狂言ござる乃座69th」を上演予定


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