クジラの仁子
仁子はじっとしているのが嫌いでした。何かあるとすぐに動き、自ら立ち上がりました。
ある時、仁子のところへ神戸女学院の学長から「文化祭に来ませんか」という誘いがありました。「息子さんのご結婚相手にふさわしい学生がいるので、紹介したい」というのです。仁子はすぐに腰を上げました。あまり乗り気でない宏基を説得して、二人で会いに行くことにしました。
すると、好奇心旺盛な百福がだまっているわけはありません。息子の嫁探しとなればなおさらです。「私も一緒に行く」と言い出して、結局三人で出かけることになりました。しかし、何かの手違いで、相手は現れません。
恐縮した学長は「今日はたくさん学生が来ています。せっかくだから、いい人を見つけてください」というのです。
「もう帰ろう」
百福は機嫌が悪くなりました。
三人が校門に向かって歩いていると、向こうから二人連れの女子学生がやって来ました。そのうちの一人、宇治金時をほおばりながら歩いてくる可愛い女性が、宏基の目にとまりました。仁子がさっと近寄り、声をかけて本人の名前を聞き出しました。怪しい者と間違われないように、百福の名刺を差し出しました。
すると一緒に歩いていた友達が、「あら安藤さんですか」と声を上げたのです。偶然でした。二人は神戸女学院の文化祭に遊びに来ていた甲南女子大学の学生で、友達の方の姉がたまたま明美(長女)と同級生だったのです。おたがいに安心して話が進みました。
女性の名前は荒牧淑子(よしこ)です。英語が堪能で、テニスが上手なスポーツ・ウーマンでした。これが縁で1976(昭和51)年4月、宏基と結ばれました。
長男の徳隆と次男の清隆が生まれました。
仁子は、父親譲りのわがままな宏基には、しっかりした嫁が来てほしいと願っていました。さいわい、淑子はよい家庭で育てられた女性で、子どものしつけや教育にも厳しく、そんな嫁の姿を見て、これで二人の孫は礼儀正しい人間に育つだろうと安心したのです。
笑い話ですが……。
八十代も半ばになると、仁子は百福のいない昼間に、母親同士が集まって食事会を開くことが楽しみの一つでした。ある時、料理の上手な淑子に、「何か変わった料理を作って」と頼むと、淑子は腕を振るってラザーニアを作りました。
すると、仁子がこっそり、「淑子さん、この料理、糸を引いているけどだいじょうぶ?」と聞くのです。「これ、チーズですから」と答えると、みな安心して、「おいしい。おいしい」と食べつくしたそうです。仁子はそれ以来、すっかりチーズ料理にはまってしまいました。
淑子が厳しい分、仁子は安心して孫を甘やかすことができました。小学校の運動会には孫の応援に東京まで足を運びました。「徳も清も、一等賞。立派な体に育ってくれて、ほんとうにうれしい」と、日記に書くほど大喜びです。
清隆が大きくなって、結婚の報告に来た時、仁子はこんな言葉を送りました。
「私の結婚式は戦争中で、食べるものが少なかったから、カエルを食べたわ。それでも幸せでした。何事も、どう感じるかが大切よ」
どんな悲しいことも、つらいことも、我慢して飲み込んでしまえば、人は幸せになれる、というのです。「クジラの仁子」の面目躍如です。