忘れられない思い出

ときどき、仁子は明美に言いました。

「あなただけは、決して再婚の人と結婚しないでね」

自分も母の須磨も結婚相手は再婚で、いろいろ苦労しただけに、娘にだけはよけいな苦労をさせたくないという思いがあったのです。

明美は言われた通り、知り合いの紹介で初婚の男性とお見合いすることになりました。兄と一緒に電子部品メーカーを共同経営していた堀之内徹です。百福がアメリカへ出張する予定があったため、見合いの席は羽田空港でした。あわただしい見合いを終えて、百福はその夜の便でロサンゼルスに向かいました。翌日、アメリカへ着くなり電話がかかってきました。

「いいじゃないか」の一言でした。

堀之内は長身で、礼儀正しい好青年。百福も仁子もぞっこんで、明美もすぐに気に入り、交際が始まりました。ところがしばらくして、堀之内から自身の会社の経営状況の都合で「結婚は待ってほしい」という連絡が来たのです。

そのまま五年が過ぎましたが、やはりご縁があったのでしょう、間に入っていた方から連絡があり、「やっと落ち着いたので、結婚を」という堀之内の意向が伝えられました。

明美の思いは五年の時を経てようやく通じたのです。

1976(昭和51)年6月、二人は晴れて結婚しました。兄宏基の結婚式のわずか二か月後でした。仁子は母親としてのつとめを相次いで果たしたことで、ほっと胸をなでおろしたのです。

「母は鷹揚な性格でしたが、少しそそっかしいところがありました」

明美はそう言って、忘れられない思い出を語りました。

明美は池田の学芸大附属中学校から、編入試験を受けて甲南女子高校に入りましたが、そのいきさつが、仁子のとんだ勘違いから始まったのです。

実は明美は、大阪府立北野高校を受験することになっていました。試験当日、どこを探しても受験票が見当たりません。明美はべそをかいています。仁子がまちがって、願書を違う学校に送ったらしいのです。

送り先は、編入試験を受ける予定のあった神戸市東灘区の甲南女子高校でした。担任の先生が慌てて学校を走り回り、すったもんだした末に、北野高校には行けませんでしたが、甲南女子高校に無事入学できたのです。

明美はその後、甲南女子大学に進学します。

図らずも、それが宏基と淑子の出会いを後押しすることになりました。これも、そそっかしい仁子が取り結んだ、何かの縁だったのでしょうか。

※本稿は、『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(安藤百福発明記念館編、中央公論新社刊)の一部を再編集したものです。


チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(著:安藤百福発明記念館/中央公論新社)

NHK連続テレビ小説『まんぷく』のヒロイン・福子のモデルとなった、日清食品創業者・安藤百福の妻であり、現日清食品ホールディングスCEO・安藤宏基の母、安藤仁子とは、どういう人物だったのか?

幾度もどん底を経験しながら、夫とともに「敗者復活」し、明るく前向きに生きた彼女のその人生に、さまざまな悩みに向き合う人たちへの答えやヒントがある――寒空のなかの1杯のラーメンのように、元気が沸き、温かい気持ちになる1冊。