仁子の愛

いたずらっ子だった宏基は、成長するにつれて仁子の愛を強く感じるようになりました。こんなことがありました。

宏基は高校時代、ギターを弾き、ベンチャーズのコピーバンドを作っていました。ベンチャーズ・コンクールに出て第二位になるほどのめり込んでいました。慶應義塾大学の合格祝いに、三菱自動車のコルトを買ってもらいました。それで事故を起こしたのです。

新車がうれしくて、気持ちが大きくなっていたのでしょう、前を走るトラックにヘッドランプを点滅させてパッシングしたのです。左に寄せてくれたので対向車線にハンドルを切ったとたん、正面衝突しました。相手の車は道路から横の田んぼに転落しました。三人ほど乗っているのが見えました。

宏基の車は何回転かして、路上で止まりました。ドアから外に飛び出したギターを拾い上げた後、気を失いました。ハンドルが折れて胸に刺さっていましたが、命はとりとめました。

仁子がタクシーに乗って病院に駆けつけました。途中、タクシーが事故現場の横を通り過ぎた時、運転手が、「ひどい事故だったから、二、三人は死んでるね」と話しかけたのです。仁子は全身から血の気が引きました。

「息子の命が、無事でありますように」

仁子は病院に着くまで、祈り続けました。

『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』(著:安藤百福発明記念館/中央公論新社)

祈りは通じました。

宏基は目の周りを傷つけましたが、奇跡的に無事でした。また、対向車に乗っていた人たちも全員無事と聞いて、ほっと胸をなでおろしたのでした。

後で分かったことですが、フロントガラスとダッシュボードの隙間に、仁子が安全祈願した木製のお守り札が、手でとれないほど深く食い込んでいたのです。ガラスが割れなかったのはお守りのお陰でした。もし、フロントガラスが割れていたら、命はなかっただろうと言われました。