「薄茶は点てる、お濃茶は練るといいます。いろは四十八文字を心の中でいいながらゆっくり練るとよいといわれていますけれど」
操り人形のように師匠に指導されるまま、
「このくらいでいいでしょうか」
と楽茶碗に入れたお湯の量も確認していただき、
(い、ろ、は……)
と心の中でいいながら茶筅(ちゃせん)を動かしてはいたが、その練るという感覚がまったくわからなかった。闘球氏や白雪さんのお点前を見ていると、たしかに、
「練ってる」
という感じはするのだが、具体的にどのようにすればいいのかわからず、とにかくとろりとするように抹茶を混ぜたといったほうがいい状態だった。おそるおそる茶筅を上げると、茶筅に残った抹茶の色が薄かった。おまけに茶筅の穂先の細い竹が数本折れていた。力を入れすぎて、折ってしまったらしい。
正面を正客に向けて出そうとしたら、私の体に近い部分の茶碗の内側に、抹茶の粉が溜たまっているのに気がついた。全体的に練らなくてはいけないのに、その部分だけ茶筅が届いていなかったらしい。
「あの、中に抹茶がそのまま溜まっているところがあります。そのうえ茶筅を折ってしまいました。きっと中に入ってます」
焦って報告すると、闘球氏も白雪さんも、
「はい、わかりました」
とにこにこしている。きっとおいしくないであろう、最初のお濃茶を飲んでいただくのは本当に申し訳なかった。先輩方がそっと口の中から何かを取りだして懐紙に包んでいるのを見て、きっとあれが私が折った茶筅のかけらだろうと思うと、何度頭を下げても足りないくらいだった。最後に私も飲んでみたが、何の感動もない味で、折れた茶筅の穂先が二本入っていた。