黒柳徹子さん(写真提供:講談社)
国内で800万部、全世界で2500万部を突破したベストセラー書籍『窓ぎわのトットちゃん』。先日42年ぶりに続編『続 窓ぎわのトットちゃん』が発売され、話題となっています。今回この新刊より、戦争が始まって2年半が過ぎたころに起きたという「トットちゃん」こと黒柳徹子さんにとって、うれしかった出来事と悲しかった出来事について紹介します。

明ちゃん

昭和19年の春、太平洋戦争が始まってから2年半が過ぎたころ、トットの家では、うれしい出来事と悲しい出来事が立て続けに起こった。

4月に妹の眞理(まり)ちゃんが生まれて、4人きょうだいになったのがうれしい出来事だ。

ところが5月に、上の弟の明兒(めいじ)ちゃんが敗血症(はいけつしょう)で亡(な)くなってしまった。

ついこのあいだまで元気に学校に通っていた明ちゃん。

勉強もできて、ヴァイオリンも上手に弾(ひ)けて、トットと明ちゃんはいつもいっしょだったのに。ペニシリン1本あれば助かる命だったと、あとから聞いた。

でも奇妙(きみょう)なことに、トットは明ちゃんが死んだときのことを覚えていない。

というより、明ちゃんのことを、なんにも覚えていない。

「いつも肩(かた)を組んでいっしょに学校に行ってたじゃない」とママが言うぐらい、なかよしだったはずなのに、なぜかまったく記憶(きおく)がない。

写真を見ても、「へーえ、こんな子だったんだ」と思うほどだ。

きっとトットは、明ちゃんが死んだという事実を受け入れられず、明ちゃんの記憶を頭の中から追い出してしまったのだろう。

だから、トットの記憶の中には、明ちゃんを失って悲しむママとパパの姿も残っていない。

明ちゃんは息を引き取る前に、「神さま、僕(ぼく)は天国に行きますけれど、どうぞこの家の人たちが、平和で楽しく暮らせるようにしてください」とはっきりした声で祈(いの)っていたと、あとからママに聞いた。