疎開

その年の夏、ママは疎開(そかい)する決意を固めた。

まず考えなければならないのは、どこに疎開するかだった。

東京生まれのパパには田舎(いなか)がなかったし、ママの故郷(ふるさと)の北海道は東京からは遠すぎた。

そこでママは、パパを1人東京に残し、まだ小さい3人の子どもを連れて疎開先探しの旅に出たのだった。

最初の候補地は仙台(せんだい)だった。

『続 窓ぎわのトットちゃん』(著:黒柳徹子/講談社)

どうしてかというと、ママのパパ、つまりトットのおじいさまは、仙台にあるいまの東北大学(とうほくだいがく)医学部を卒業してお医者さんになったので、それなりに縁(えん)のある町だったからだ。

ママは、トットたちを引き連れて仙台駅に降りると、駅前をぐるりと1周した。ところが、ピンとひらめいたものがあったらしい。

「ダメだわ、絶対ここは空襲(くうしゅう)がある」

ママの予言は当たっていた。

翌年の7月、仙台はB29の大空襲に見舞(みま)われ、市街地は見渡(みわた)す限りの焼け野原となった。

北海道の大自然の中で生まれたママには、危険を察知する動物的な勘(かん)が備わっていたのかもしれない。