世間知らず
やがて琵琶湖北岸の塩津(現滋賀県長浜市西浅井町塩津浜)に上陸した。
塩津は陸上でも湖上でも、京と北陸道を結ぶ交通の要衝であった。
近年、湖底にある旧塩津神社の発掘調査が進められており、興味深い木簡が出土している。
近江と越前の国境である塩津山を越え、敦賀に入った。
「深坂越え」と呼ばれるこの道は、現在のJR近江塩津駅から新疋田駅の間に、古道がよく残されている。
北陸本線の深坂トンネルの上にあたる。疋田の北側に、かつて愛発関が設けられていたという説が有力である。
塩津山を越えた際には、紫式部の輿(こし)を担ぐ「下賤な男で粗末な身なりをした」人夫の、「やはりここは難儀な道だなあ」というぼやきに呼応した歌を詠んだ。
知りぬらむ ゆききにならす 塩津山 よにふる道は からきものぞと
(お前たちもわかったでしょう。いつも往き来して歩き馴(な)れている塩津山も、世渡りの道としてはつらいものだということが)
輿の上の姫君から、「世の中は辛いものだよ」と諭されて、輿を担いでいた人夫たちもさぞや驚いたことであろう。
まだまだ紫式部も若くて世間知らずだったのである。