思い出したくなかった

敦賀からは、海路で杉津に上陸して元比田から「山中越え」をするにせよ、陸路で木ノ芽峠(現福井県敦賀市新保。JR北陸本線の北陸トンネルの上)を越えるにせよ、今庄まではたいへんな難路である。

その後、湯尾峠(現福井県南越前町今庄・湯尾)を越えて、越前国府(えちぜんこくふ)に入った。

この間に詠った歌は、『紫式部集』に載せられていない。

よほどたいへんだったのか、思い出したくなかったのであろう。

『延喜式(えんぎしき)』では、京と越前との日程は4日とされているが、これは租税の運上に関わる規定である。

国司の下向ともなれば、さらに多くの日数を要したはずである。

※本稿は、『紫式部と藤原道長』(講談社)の一部を再編集したものです。


紫式部と藤原道長』(著:倉本一宏/講談社)

無官で貧しい学者の娘が、なぜ世界最高峰の文学作品を執筆できたのか?

後宮で、道長が紫式部に期待したこととは? 古記録で読み解く、平安時代のリアル

24年大河ドラマ「光る君へ」時代考証担当の第一人者が描く、平安宮廷の世界と、交差した二人の生涯!