寺田課長(萩原健一)は、災難続き(『課長サンの厄年』第1回より)(写真:『証言 TBSドラマ私史: 1978-1993』より)
昭和天皇崩御にリクルート事件。様々な現象や事件が、立て続けに昭和の最後に起こりました。そんな歴史の転換期に、「平成」初のテレビドラマ『代議士の妻たち2』をつくったのが、元TBSプロデューサーで現・日本映画テレビプロデューサー協会事務局長の市川哲夫さんです。今回、著書の『証言 TBSドラマ私史: 1978-1993』から、知られざる当時のドラマ制作の裏側を教えていただきました。市川さんいわく、「ある日『厄年』をテーマにすればドラマが出来ると思い立った」そうで――。

日曜劇場

1992年の夏だったが、TBSドラマの看板枠でもあった東芝日曜劇場のリニューアルが囁かれるようになった。93年春から連続ドラマに切り替え、しかも視聴者ターゲットに男性ビジネスマンを取り込みたいとの、大「改革」だった。

秋口に入ると、編成部の近藤邦勝と、制作の先輩プロデューサー・堀川とんこうと「日曜劇場」の連続ドラマ枠について、随時話し合うようになった。堀川が93年4月枠、私が7月枠の担当プロデューサーとなる流れだった。連ドラとなれば、私には4年振りなのでなんとか「成功」させたいと思った。

その時点(92年秋)は、特別企画ドラマ『派閥人事』の制作に取り組んでいた。「経済小説」の名手、清水一行の『頭取の権力』が原作で岩間芳樹が脚本を書いた。幸い、内容的に高評価を受け、月間「ギャラクシー賞」を受けた。

しかし、この手のドラマはスポンサーの東芝は好まない。「日曜劇場」枠拡大で放送された『派閥人事』のスポンサーを降板する一幕があったのだ。いわゆる「社会派」風ドラマは、連ドラの「日曜劇場」では通らないのは明らかだった。