ところが母は、食事の大切さを説明してくれる主治医の前で「もう嫌いなものは食べません。野菜は一切食べたくない」と宣言。私は母の態度にムッときて、帰りの車の中で言い争いになりました(笑)。つまり喧嘩できるほど元気だったわけですが、手術をしてみたら、想像していたより深刻で。
術後の回復が早く、これまでと変わらない生活に戻ることができたのは幸いだったものの、これはあくまでも前哨戦。その2年後、今度は脳梗塞を起こしたのです。
母が友人と船旅をしている最中の出来事でした。船長から私にファクスで連絡が入り、母が食事中にコーヒーカップを取り落とした、と。たまたま高齢者専門病院の院長が同席していらして、異変に気づいてくださったのが不幸中の幸い。ごく軽い病状で、すぐに投薬したので心配はいらない、と報告を受けました。
急いで仕事を終えて船が停泊するハワイまで会いに行くと、母は予想以上に元気で拍子抜けしたのを覚えています。
しかしその翌年、2度目の脳梗塞に見舞われました。この時も病状はさほど深刻なものではなかったのですが、リハビリ病院へ転院したあとに脳出血を起こして。さらに、治療のため総合病院に戻された翌日、ベッドから落ちて大腿骨頸部を骨折してしまいました。これが介護生活の引き金となったのです。
脳梗塞の薬で血をサラサラにしていたためすぐに手術ができず、高齢ということもあり手術を待つ間に脳に障害が残ってしまうかもしれない、手術できたとしても一生歩くことはできないかもしれない、と説明されました。
生きて帰れない最悪のケースまで想像しながらぼんやりと、「車椅子生活になったら、坂の上に立っている今の家にはもう暮らせない。引っ越すしかないな」と考えていたと思います。