赤塚にとっての「酒」

『おそ松くん』人気で、テレビ出演の依頼も増えた。

65年12月にはNET(現テレビ朝日)の特別番組『まんが海戦クイズ』に4日間連続で出演した。小学生が5人ずつ『おそ松丸』と『だめ夫丸』の2組にわかれてクイズに挑戦する番組。黒柳徹子の司会で、赤塚、当時の人気漫画『丸出だめ夫』の作者・森田拳次がそれぞれキャプテンを務めた。

『赤塚不二夫 伝 天才バカボンと三人の母』(著:山口孝/内外出版社)

好評で、翌年3月から『まんが海賊クイズ』となってレギュラー番組化され2年間続いた。

テレビ出演について赤塚は、『いま来たこの道帰りゃんせ』で、「もともとぼくは、こわがりで恥ずかしがりやで、テレビに出る度胸がない。だから、出演の前にはウイスキーを飲む。楽屋にもウイスキーを持っていく」と告白している。

酔った勢いで、こなしていたのだ。

少しずつ、水割りをなめるように飲んでいるうち、だんだん量が増えていった。

シャイで、人と目を合わせることもできなかった恥ずかしがり屋が、酒を飲むと気も大きくなり、話もできた。

飲みながらの猥談、人の悪口はなし。はじめは映画の話をしてるのが好きだった。

「みんなと仲良くなって、楽しい会話をして、面白いことをやりたくなる」

それが赤塚にとっての酒、だった。

酒によって、赤塚の行動範囲、交友関係は格段に広がる、というより一変した。これまでは漫画家仲間、編集者との世界に限られていたと言ってもいい。

『竹馬』には、編集者、スタッフとも行ったが、そこで葬儀屋、玩具屋、医者、土木作業員など様々な職業の人間と会った。『もーれつア太郎』に出てくる『ココロのボス』は、ここで会った変わった中国人がモデルだった。

アイデアの幅も広がるという大きなメリットもあった。

赤塚は、新宿を拠点に、面白いところ、楽しいところにはどこでも顔を出した。

コマ劇場裏にあった『ジャックの豆の木』には、ジャズピアノの山下洋輔、坂田明、中村誠一トリオのほか、なぎら健壱、三上寛、高信太郎、筒井康隆、滝大作、上村一夫らがいた。

ひとり一芸が必要だった。

赤塚は、話芸でなく荒芸。形態模写、体を張った芸が得意だった。裸になるのが好きでストリップ、ローソクショーをやった。

コスプレにも凝っていた。セーラー服、看護婦、着物姿……。

「すごく気持ちいい。シャイなんだよ。だから、自分が違う人物に変装すると、勇気が出るんだよ」

こんな変身ぶりを、当時、登茂子(=最初の妻)はまったく知らなかった。

忙しさにかまけて、ほとんど家に帰ってこないし、「帰ってきても30分もいないで出ていったこともある。それに、家ではまったく飲まなかったんです」と言う。