『おそ松くん』『天才バカボン』など、「ギャグ漫画」のジャンルを確立した天才漫画家・赤塚不二夫先生。晩年期の赤塚先生を密着取材していたのは、当時新聞社の編集記者だったジャーナリストの山口孝さんです。山口さんは、先生から直接「評伝」の執筆を勧められ、長い時間をかけ『赤塚不二夫 伝 天才バカボンと三人の母』を書き上げました。「最後の赤塚番」が語った、知られざる「赤塚不二夫伝」を一部ご紹介します。
酒を覚え、女性遍歴も
65年1月、『おそ松くん』で『第10回小学館漫画賞』受賞が決まる。
「漫画もヒットしたし、酒を覚えてもいいだろう」という周囲の声もあって、赤塚は初めて、ウイスキーを飲んだ。
高井研一郎と古谷三敏、ふたりに誘われ新宿、風林会館近くのバー『竹馬』に行った。ボトルをキープした。
「俺が飲めるようにしちゃった」と、高井は、後に僕と一緒に飲んだとき、ぶっきらぼうに明かした。
何気ない誘いが、その後の赤塚の人生まで変えてしまうことになって、複雑な思いだったのか、それとも“これでいいのだ”と開き直ったのか、真意は分からない。
それまではビールをコップ半分飲んだだけで、へべれけになるほど弱かった。
北見けんいちが振り返る。
アシスタントに採用されることが決まった63年の暮れ、第3さつき荘で忘年会をしようということになった。
「先生が、ビール買ってきてって言ったの。男が6人いるのに、3本でいいって。それとクリスマス・シャンパン2本。それで6時から12時までもった、映画の話で盛り上がって……。先生も僕もほとんど飲まなかったから」