1971年、渡米してから
71年夏、渡米する。
『天才バカボン』などの連載を抱えていたが、原稿はニューヨークから航空便で送った。
滞在2カ月間で200万円を使う、豪遊だった。
帰国して、ますます金遣いが荒くなった。
渡米時、友人の『ウィスパー』というクルーザーに何度も乗せてもらった。「これは女にモテる」と思い込んだ赤塚は、帰国してすぐ、1200万円をポンと払ってヤマハのクルーザーを買い、『ウィスパーJr.』と名付けた。
もうひとつ、ニューヨークで飲んだオランダ産のビール、ハイネケンが忘れられなかった。当時日本の酒屋では売っていなかった。現在のような並行輸入制度もなく1箱とか2箱では輸入できなかった。
「1船丸ごと買った。200~300ダースはあったんじゃないか。当時下落合のひとみマンションに5部屋、スタッフと僕用に仕事部屋を借りてた。それと、僕が住んでいた目白のマンション。押入れとベランダにも積んで並べたけれど、いつまでたっても部屋の中真っ暗だった。75年に上京した(目白に住んだ)タモリも飲んでいた」
4年以上飲み続けられた。一体いくらかかったのか、分からない。
※本稿は、『赤塚不二夫 伝 天才バカボンと三人の母』(内外出版社)の一部を再編集したものです。
『赤塚不二夫 伝 天才バカボンと三人の母』(著:山口孝/内外出版社)
強い、弱い、きれい、汚い……。
すべての存在をあるがままに命がけで肯定した天才と、その天才を生み育てた「母」の物語。
3人の「かあちゃん」が大好きだった、赤塚不二夫のすべて。