「姉は僕の態度を否定せず、「そう、大変だったね」と話を聞いてくれたので、ありがたかった」(大島さん)(撮影:本社写真部)

以前の母なら泣いたでしょうが、病気のせいか、アッケラカンと「何が?」という表情をしている。それを見て、また腹が立つ。それでも少し時間を置けば、自分こそがんになった人の気持ちを考えたことがあるのかと、またまたひどい自己嫌悪に陥るのでした。

姉とはLINEで連絡を取り合っていましたが、当時のやりとりを読み返すと、イライラ感満載。腹が立ったできごとを逐一報告していましたが、姉は僕の態度を否定せず、「そう、大変だったね」と話を聞いてくれたので、ありがたかった。

誰にも言えない親のこと、身内にしか吐き出せない愚痴やつらい思いを、すべて受け止めてくれたんです。それがなかったらストレスが爆発し、僕はおかしくなっていたと思います。

 

介護による制限でできる仕事が激減して

当初は家事をしていた母も、腰骨の痛みが強くなった16年末頃からは、歩くことさえ困難になりました。放射線を当てても痛みは緩和されず、トイレには這って行くように。

そんな状況ですが、日々、母と僕の生活費以外にも通院のタクシー代、治療費などがかかります。母の年金からまかなったり、部屋を借りるときには兄が初期費用を出してくれたりと、多少の援助はあったものの、それだけでは追いつかない。やはり、僕が外で働いて収入を得なければまかないきれないのです。

そんな現実とは裏腹に、タレントとしての仕事は、介護による制約の多さから次第になくなっていきました。背に腹はかえられず、いろいろなアルバイトをしました。日雇いの肉体労働にコールセンター……。けれど、バイト先で顔バレして仕事が続けにくくなったり、「月20日以上勤務」といった条件を満たせず、途中でやめざるをえなかったり。それでもなんとかアルバイトを見つけて、食い繋いでいました。

僕ひとりでの介護に限界を感じ、ケアマネジャーさんのアドバイスでショートステイを利用し始めたのが、17年3月のことです。短い期間から慣らしていくのですが、2回目の時に母の腰痛が悪化し、完全な寝たきりになってしまって。

訪問介護のスタッフからは「入院レベル」と言われるのに、病院からは「ベッドの空きがない」「緊急を要さない」として、入院を受け入れてもらえない。わけがわからず、憤りを感じました。