母はこの頃、自分でトイレに行けず、オムツを使うようになりました。そんな母を置いて、僕は外に行くこともできない。途方にくれ、ケアマネさんと相談して昼と夕方の30分ずつ、ヘルパーさんに来てもらうことにしました。僕が作る朝食以外の食事は、介護用の宅配弁当を利用。もちろんお金がかかりますが、そんなことは言っていられません。
これで仕事に行けるし、オムツも替えてもらえると安堵しましたが、ヘルパーさんは限られた時間しかいない。あるとき仕事から帰宅すると、家の中に臭いが充満。気持ちが悪いのかオムツをずらしてしまい、布団の周囲が汚れてしまっていたのです。
「僕が替えるからずらさないで」と言ってもダメ。母も、息子には替えさせたくないという気持ちがどこかにあったのでしょうか。でも、僕がやるしかないという現実は厳然とある。それが正直、つらくて。限界を感じました。
施設に預けるのは悪いことではない
こんな毎日がいつまで続くのかという不安に苛まれる日々でしたが、思った以上に早く入院先が見つかり、緩和ケアの後、4月に病院併設の特別養護老人ホームに移りました。
特養というと暗くて無機質なイメージを勝手に抱いていたのですが、木目調の温かみのある個室で、好きな家具も運び込むことができるのです。看護師さんも24時間いつでも駆けつけてくれる。ひとつ足りないとすれば、僕がいないこと。2日に1度は顔を出そう。それなら母も寂しくないだろうと思いました。
それまでは施設に預けることに、どこか後ろめたさを感じていたのです。かわいそうじゃないか、と。でも、決してそうではない。医療の面でも介護の面でも、専門知識を持ったプロがバックアップしてくれているのです。これ以上の安心はないと思いました。
おかげで僕も気持ちに余裕ができるし、母にとっても僕にとっても、ベストな選択だったと思っています。その証拠に、僕と二人で暮らしていたときより、母の笑顔が明らかに増えていました。
医師から「覚悟してください。看取りの段階です」と言われたのは、5月。もっと長く生きてほしいと願いながらも、いい形で送りたいと葬儀屋さんを調べている自分がいる。その矛盾に気がおかしくなりそうでした。
残り少ない日々だけど、母を少しでも喜ばせたくて。僕が小学生の息子を連れて行くと、それまで気力を失ったようにずっと寝ていた母がいきなり前のめりになって、「学校は楽しい?」と嬉しそうに息子に話しかけていました。孫の力は絶大ですね。
6月3日、母の81歳の誕生日には、壁一面を家族の懐かしい写真や手紙で飾ったり、香川の姉家族とテレビ電話で話したりしてお祝いしました。母の喜ぶ姿を見られて、嬉しかったなあ……。