平安時代の「女房」とは輝く女性だった
しかし平安時代も終わり頃になると、女房のなかでも”格差”が生まれていたような気がします。
つまり、貴人の側には中央官(右大臣とか中納言とか)のお嬢さんが陣取り、清少納言ら地方官のお嬢さんは、ご主人様と親しくお話をするなどの機会がなくなっていく…
そんな状況だったのではないでしょうか。
いや、でも主人が男性の場合、美貌であれば出自は問われないのかな。音楽や舞いに秀でた遊女が上皇の寵愛を受け、皇子を産むケースもありましたからね。
でも、貴人の側に身分の低い家の女性がいることは、ダメではないけれど、数は少ないはずです。
彼女たちの仕事は多岐にわたりますが、基本的に、彼女たちには高い「教養」が求められました。
たとえば、主人の和歌や音楽の家庭教師をするような人もいました。あるいは、主人が持っている財産(たとえば荘園)の維持・管理に務めた女性もいました。
平安時代の「女房」とは、自分の特技で身を立てるような、輝く女性だったのですね。
『「失敗」の日本史』(著:本郷和人/中公新書ラクレ)
出版業界で続く「日本史」ブーム。書籍も数多く刊行され、今や書店の一角を占めるまでに。そのブームのきっかけの一つが、東京大学史料編纂所・本郷和人先生が手掛けた著書の数々なのは間違いない。今回その本郷先生が「日本史×失敗」をテーマにした新刊を刊行! 元寇の原因は完全に鎌倉幕府側にあった? 生涯のライバル謙信、信玄共に跡取り問題でしくじったのはなぜ? 光秀重用は信長の失敗だったと言える? あの時、氏康が秀吉に頭を下げられていたならば? 日本史を彩る英雄たちの「失敗」を検証しつつ、そこからの学び、もしくは「もし成功していたら」という“if"を展開。失敗の中にこそ、豊かな"学び"はある!