当時のレベル
以上を踏まえつつ、女房について説明します。
あらためて、西暦1000年をまたいで生きていた清少納言を例に取ると、彼女は一条天皇の中宮(正妻)である藤原定子に仕えた「女房」です。
その父親も夫も息子も、国司を務めたクラス(現在なら県知事)でした。
彼女のライバルでもあった紫式部や和泉式部といった女性も、親なり夫は国司クラスです。
つまり、このころは、地方官である国司のお嬢さんレベルが、高貴な女性に親しく仕えるということがあった。
和泉式部は親王殿下と恋仲になってさえいます(身分違いと批判されたようですが)。