硬骨の人、小野宮実資の周辺
三条院に同情を寄せたのは隆家だけではなかった。硬骨の人、藤原実資もその一人だった。『光る君へ』ではロバート秋山さんが演じている。
小野宮流に属したこの人物は、永年勤続賞でも与えたいほどに政務に精励した。「賢人右府」(右府は右大臣のこと)と称されたほどで、円融・花山・一条の3代の天皇の蔵人(秘書的役割を担う要職)を勤め、その後は参議・右近衛大将そして右大臣へと栄進を重ねた。
その日記『小右記』(小野宮右大臣に由来)は半世紀にも及ぶ一級の史料として知られる。儀式・政務について詳細が綴られており、刀伊来襲の一件も『小右記』からの情報が圧倒的である。
実資は道長より10歳ほど年長で、媚びない姿勢は日記の随所でもうかがえる。
そうした点で、隆家とは親子ほどの差はあったが距離は近かった。
既述した通り、ともに三条院派だった。藤原済時の娘せい子(三条上皇の東宮時代に入内。せいの字は女偏に成)立后のさい、公卿の多くが道長の威を憚って参列しなかったが、実資・隆家たちは参じた。
自立志向という点でも両者は共通していた。そうした関係もあってのことか、実資との情報交換は隆家の九州下向後も続けられていた。刀伊事件の詳細が『小右記』から共有できるのも、隆家から実資に戦況を伝える私信が多く載せられていたからだ。