隆家の大宰府下向

その前年に兄伊周が死去しており、定子もその10年前に亡くなっていた。隆家自身の眼病が悪化する中で、いささかの光明は三条天皇の存在だった。

『刀伊の入寇-平安時代、最大の対外危機』(著:関幸彦/中公新書)

東宮時代、道長との対抗心もあって、隆家はこの三条天皇へ親しみを感じていたようだ。両者は反道長で共闘し得たからだった。

けれどもその三条天皇もまた眼病を患っており、隆家の大宰府下向はそんな失意の環境でのことだった。

隆家の大宰府赴任の3年後、三条院も死去する。さらに敦明親王の東宮辞退で隆家の政治環境はさらに厳しい状況となる。

これに追い討ちをかけるように、寛仁2年(1018)定子所生の敦康親王も死去した。刀伊来襲の1年前のことだった。

隆家にとって辛く苦しいことが続いていたおりでの異賊の来襲だった。