「幸せ」を感じにくい子は、しつけが行き届いていない?

しつけとは、人としての“根を養う”ことだと思います。

植物でも、根を養えば木は自ら育ちます。人でも同じだということです。根がしっかり育つことで徳性が身につき、知識や技能という枝葉が育っていくのです。

(写真提供:Photo AC)

とはいっても、目先の楽しみから目をそらして、やりたくないことをやらなければならないのは、子どもなりにエネルギーが必要です。子どもは楽なほうに流れるものです。

だから親御さんは、日々、口をすっぱくして同じことを言い続けなければならないのです。

「とても言い切れない」としつけを放棄してしまうのは、一見、楽かもしれません。うるさいことを言わない親を、子どもは歓迎するでしょう。

親のほうも「子どもの自主性を重んじる」とか「うちの子は個性的」という言葉でまとめてしまえば、その場の無用な争いを避けられます。

子どもだって叱られるのは苦痛ですから、叱られないで済むのであればそのほうがご機嫌でいられます。

しかし、しつけの行き届いていない子どもは、小学校という社会はなんて不自由な環境なのだろうと、家に帰りたくなるかもしれません。前日に夜更かしをしているので、眠いし、集中力もありません。

気が向いたときだけ勉強をするのはいいけれど、気分が乗らなければ、自由にさせてくれない学校がいやになってしまいます。順番を守って遊ぶことも苦手です。

それは子どもにとって、果たして幸せなことでしょうか? しつけが行き届いていればとても楽しい場所であるはずの学校が、しつけが行き届いていないばかりに居心地の悪い場所になってしまうのです。

小学生であればまだ取り返しはつきます。しかし思春期に入る中学生となると、夜更かしもひどくなり、朝起きるのはますます困難になります。

また、何かと注意してくる教師をうざいと感じたり、周りの友人たちとうまくコミュニケーションがとれなかったり、ということが続くうちに、自分の殻に閉じこもるしかなくなってしまいます。

一見、「自分の世界をもっている」という言葉にすると、個性的な人生を歩んでいるようになりますが、どんどん世界を狭くするしか居場所がなくなっているのです。