強さとは何か?

最近、強さとは何か? を考える。

私は記憶力がいいのだが、それによって悩まされることも多い。相手の言動を事細かに覚えているので、それを話すと周囲におびえられる。嫌な記憶もびっしり脳にこびりついていて、とることができず苦しむのだ。それは、記憶力がある、というより、元々備わっている「忘れる力」が弱いのだ、と思う。

心が強い人、と言われる人は、「強さ」があるのではなく、繊細さや鋭敏さが弱いのではないか、と思う。「メンタル強い」って、ようは鈍感でいられるということなのだ。心が弱い人は、強さがないのではなく、きっととても心が繊細で、些細な刺激にも敏感で、人の気持ちがわかり、あらゆる感情を受け取っていちいち傷ついてしまう人なのだろう。周りでメンタルの調子を崩す人たちは、総じてとても感性や心が鋭敏なのだ。

『死ねない理由』(著:ヒオカ/中央公論新社)

だから、心を麻痺させるより、自分が弱いままでも適応できるような環境を探すことが大事だと思うのだ。この社会には無限に箱がある。今どうあがいても苦しいのなら、それはあなたが弱いからではなく、今の箱が合っていないからなのだと思う。

よく、バブル世代にハラスメントの相談をすると、「私らのころはもっと酷かった」「今の若者たちが耐性が無さ過ぎる」と言われた。でも、ハラスメントについての認識の世代間ギャップについての記事を書くと、バブル世代の人から、こんな声をもらった。「私たちはハラスメントに強かったのではなく、ちゃんとすごくつらかったし痛かった。ただ心を麻痺させ、我慢していただけなのです」。