桃の花を詠む

この春、瓶(かめ)に挿してあった桜がすぐに散ってしまったので、桃の花を眺めて、つぎの歌を送った。

折りて見ば 近まさりせよ 桃の花 思ひぐまなき 桜惜しまじ
(折って近くで見たら、見まさりしておくれ、桃の花よ。瓶にさした私の気持ちも思わずに散ってしまう桜なんかに決して未練はもたないわ)

(写真提供:Photo AC)

桃を自分に、桜を宣孝の別れた旧妻(の一人)になぞらえて、結婚してみたらいっそうよく見える女であったと思われたいとの寓意(ぐうい)を含むとされる。

その気の強さもさることながら、日本的な桜ではなく、中国的な桃に自分をなぞらえるなど、いかにも漢籍に詳しい紫式部ならではである。

宣孝は、「百(もも)にも通じる桃は、すぐに散ってしまう桜より見劣りするようなことはない」という歌を返している。

実際には100年どころか、2年半ほどの結婚生活となってしまったのであるが。