『源氏物語』を受け継ぐことは江戸時代の支配者たちの文化政策でもあった

これを受け継いだのが徳川幕府です。

徳川家もまた清和源氏を称しており、江戸時代には源氏長者を受け継ぐようになります。つまり源氏物語を保護することが、徳川将軍家の文化的なステータスにつながっていくのです。

そして黄金で飾られた安土桃山時代から江戸時代にかけて、金箔や金蒔絵に飾られた源氏物語の美術作品が皇族、貴族、将軍や大名の間でもてはやされ、特に嫁入り道具として好まれました。大名家最高級の嫁入り道具である尾張徳川家の文化財にも多くの源氏物語のデザインが見られるのです。

「源氏物語貝桶」江戸時代。斎宮歴史博物館蔵

そして現在、源氏物語の最も古い、かつ有名な美術品である『源氏物語絵巻』が「源氏」である尾張徳川家に伝えられた理由もこのように見ると、おのずとわかってきます。

『源氏物語』を共有し、受け継ぐことは、江戸時代の支配者たちの重要な文化政策でもあったわけです。

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