女院「上東門院」として宮廷を支え続けて

これらの章段がいつ書かれ、彰子がいつ読んだのかはよくわかっていません。

しかし「若紫」は『源氏物語』でもかなり早い時期に書かれたものであり、あるいは道長はこの光源氏と若紫の物語を読み、一条天皇と彰子にも見せてやろうと思ったのかもしれません。

おそらく父や周囲からかけ続けられたであろう、苦しいプレッシャーをはねのけ、大変な難産を超えて彰子は後一条天皇を産みました。

紫式部は冷静な筆致でその様子を記し、世界最古級とも言える、女性による出産記録文献を残しました。

『源氏物語』の明石の姫君の物語は、彰子に皇后の自覚と妊娠を促し、『紫式部日記』は、その結果を道長に報告する、紫式部の一対の報告書と言えるのかもしれません。

そして彰子は、一条天皇を失ってからも、実に60年余りにわたり、道長や源倫子の権威をも越え、宮廷を支え続けた女院「上東門院」となるのです。

【関連記事】
次回の『光る君へ』あらすじ。石山寺でばったり出会ったまひろと道長。思い出話に花を咲かせるうちにふたりは…<ネタバレあり>
『源氏物語』最大のナゾ。なぜ藤原氏全盛期に<源氏>?なぜ源頼朝らが傾倒した痕跡はない?日本史学者「広まったきっかけは室町幕府・足利義満で…」
マンガ『源氏物語』9話【若紫】帝の妻・藤壺の宮の幼い姪に執心する一方、妻・葵の上からは冷たくあしらわれる源氏。「私にはあの人しか」思いつめた源氏はついに藤壺邸へ!

謎の平安前期―桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年』(著:榎村寛之/中公新書)

平安遷都(794年)に始まる200年は激変の時代だった。律令国家は大きな政府から小さな政府へと変わり、豊かになった。その富はどこへ行ったのか? 奈良時代宮廷を支えた女官たちはどこへ行ったのか? 新しく生まれた摂関家とはなにか? 桓武天皇・在原業平・菅原道真・藤原基経らの超個性的メンバー、斎宮女御・中宮定子・紫式部ら綺羅星の女性たちが織り成すドラマとは? 「この国のかたち」を決めた平安前期のすべてが明かされる。