家臣から見限られた道三
ただ、こうした話は俗説に過ぎないのではないだろうか。
天文23年(1554)の段階において、道三が家臣団によって鷺山(さぎやま)城(岐阜市)に移され、隠退を余儀なくされたのは事実である。
おそらく道三は、家臣から見限られたのだろう。家臣団の中には、義龍を主君と仰ぐ勢力があったに違いない。それゆえ道三は、義龍の弟たちを偏愛したという。
いずれにしても道三が家臣からの支持を失い、やがて斎藤家中が分裂したことによって、道三の追放そして討伐に至ったと考えられる。
※本稿は、『戦国大名の家中抗争 父子・兄弟・一族・家臣はなぜ争うのか?』(星海社)の一部を再編集したものです。
『戦国大名の家中抗争 父子・兄弟・一族・家臣はなぜ争うのか?』(著:渡邊大門/星海社)
15世紀後半以降、戦国大名が争った時代。
大名たちは他国の大名と戦うだけでなく、一族や家中の敵と戦わなければならなかった。
本書は信頼できる史料や先行研究に基づき、なぜ戦国大名は身近な者同士で戦ったのか、時代の本質に鋭く迫る。