死を受け止める側
養老 僕はもともと、死んだ人と生きている人をそこまで区別して考えていませんでした。
これまでに何度も書いたり話してきましたが、4歳の時に親父が死んだのを目の前で見ていますが、やっぱり受け入れがたいんです。子どもにとっては理不尽でしょう。
うちは異父兄弟で、兄と姉の父親は別の人でしたから、自分の父親だけ死んでいるのは納得がいかなかったんです。
小堀 死因は結核ですか?
養老 そうです。僕の中で、父は長い間生きていたんです。
人は死にますが、受け止める側にとっては簡単に死ぬわけではありません。だから一周忌や三回忌をやるんです。それで、死んだ人のことをだんだん忘れていることに気づきます。
忘れてはいけないということではなくて、だいぶ忘れているということに気づく。それでいいんですよ。覚えている人はそれで慰められます。そうやって死んだ人を大切にしているんです。法事に意味がないわけではないのですが、今はお坊さんですら、その意味がわからなくなっています。