加速する認知症
そんな義母が数年かけて徐々にバランスを失い、今日の穏やかな義母になった。
それは喜ばしいことではないですか、人間、年をとると穏やかになるものなんですよ……と、慰めるような感じで言って頂くことがあるのだが、義母の認知症の進行状況を間近に見てきた私には、そうは思えない。
服用している薬の効果を否定するわけではないが、絶対におかしい。義母の今の穏やかさは、人間が円くなったからではない。
彼女はたぶん、自分の周りの状況をあまり把握できていない。つまり、彼女は今、自分の家にいるにもかかわらず、お客さんのような状況になっているのだ。
なぜそう思うのかというと、つい最近まで感情を爆発させることが多かった義母が、最近はにこにこと笑顔を振りまき、大人しくしているのだ。遠慮している。これは、本当にあり得ない。あの強烈な毒はどこに行ったというのだ。
周囲を圧倒するほどの義母ビームが一ミリも出ていないではないか。あれだけ抵抗していたデイサービスも、文句ひとつ言わずに、素直に行くようになった。ここまでくると不気味である。
素直になってくれた、穏やかになってくれた、それだけだったらまだわかる。
あれだけ働き者で、家のなかのことは何もかもきちんとやってのけた義母が、ダイニングテーブルを前にちょこんと座っているだけなのだ。
お客さんか。いや、お客さんでいいのだけれど、うーむ……。本当に悲しいことだが、また少し、認知症が進行したのかもしれないと私は考えている。
こればかりは仕方がないことだけれど、認知症というのは、一旦加速すると、どこまでも速いスピードで進行する病だなと思わずにはいられない。
彼女はまるでふわふわ空中を漂う風船みたいだ。必死に手を伸ばしても、なかなか捕まえることができず、あっという間に青空に向かってふわりと飛んでいってしまう。ちょっと待って~! と言ってしまいそうになる。