篠井さんは大学に入るために上京し、すぐに藤間宗家に入門する。六世藤間勘十郎(当代の祖父)は、大方の歌舞伎役者の子弟の師匠だった人。
――ええ、歌舞伎の子供たちもいらしてましたね。それが逆に僕にはいい刺激になりました。
それこそ今の(市川)團十郎さんとか、今度菊五郎を襲名する(尾上)菊之助さんとかが、ばあやさんと来てたり、(中村)勘九郎くんや(中村)七之助くんもまだ小さくて走り回って大変だったけど、あの子たちの面倒を見て、近くのマクドナルドに連れてったりしましたよ。覚えてないと思うけど。(笑)
その後、東京の日藝(日本大学藝術学部)に進学し、卒業と同時くらいに「花組芝居」の前身、加納幸和事務所という集団に入って。加納くんと僕は女方志向なので……やっぱり東京は広いな、僕みたいに女方をやりたい人間が他にもいるんだ、って喜びました。
そこで3、4年やって、それから花組芝居になって3年ほどですから、劇団にいたのは前身と合わせて6、7年でしたかね。