篠井さんはフリーになってまもなく、世に打って出るためのプレゼンテーションとして、『女形能晨鐘』(ハナノアケガタ)という一人芝居を自主公演。
これは幕末から明治にかけて人気を博し、のちに「脱疽の田之助」(三代目澤村田之助)と呼ばれる美貌の女方を主人公にしたもの。
――はい、贅沢なことに生の邦楽で劇中劇に『娘道成寺』を入れたりして。それでだんだん田之助の病気が進んで手を使わなくなったり、「恋の手習い~」のくだりになるともう手拭いを口に咥えるだけとかにして、そんな冒険をしたんですよ。
脚本はね、日藝の文芸学科という脚本を書いたりするところの仲間。その子も歌舞伎研究会だったので、彼女に頼んで。
長唄さんは四丁四枚(三味線が四丁=四人、唄が四人の意)、お囃子も入れて。この方たちを探すのにどれだけ苦労したか。そんな小劇場でやる芝居なんかには、なかなかつきあってくれないんですよ。
で、最初は新宿のシアター・トップスという小さな劇場で四日間やって、それから4年経って銀座の博品館で再演しましたからね。
まぁ、何だかよくわからない一介の女方でもこれだけのことができるんだぞ、という気概を見せただけで、今思えば恥ずかしいですね。