「僕はこの時から、メイクや衣装など見かけの女らしさを排除して、ほぼ生身に近い姿形で、舞台に立つようになりました」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第31回は俳優の篠井英介さん。現代演劇の女方としてさまざまな舞台に立つ篠井さんは、2023年12月に劇団イキウメの『人魂を届けに』と、ケムリ研究室の『眠くなっちゃった』で紀伊國屋演劇賞を受賞。篠井さんの俳優人生に訪れた転機とは――。

前編よりつづく

9年の歳月をかけて夢を実現

では、篠井さんのライフワークとも言える『欲望という名の電車』(テネシー・ウィリアムズ作)に初めて出会ったのは、いつ頃だったのか。

――最初はテレビだったんです。杉村春子さん、文学座の。金沢にいるとあんまり生の舞台に接することができないので、いろんな戯曲を本屋さんで漁るわけ。だからもう『欲望~』も読んでいたのね。

それがテレビで放送されると知って、画面の前にカセットレコーダーとマイクを置いて、家中の人に「黙っててね!」と言って録音しました(笑)。今でも大切に持っていますよ。

それを夜な夜な聴いていたから、僕が最初に『欲望~』のブランチをやらせていただいた時は、まったく杉村さんのコピーなの。でも誰もコピーとはわからないの。(笑)

その後、生で杉村さんのブランチを初めて観たのは金沢で、僕が高校生の時かな。演劇部の仲間と二人で観に行ったんです。感動のあまり終演後も席から立ち上がれずにいたら、お客はもう誰もいないのに、なぜか大道具のバラシが始まらない。

そこで、「上がっちゃおうか」と二人で舞台に上がって、興奮して舞台装置のドアを開け閉めしたり。まぁ、不法侵入ですよね(笑)。今もその時の感動を覚えています。