18歳で映画デビュー。1歳のときに亡くなった父と図らずも同じ職業に(写真提供◎岡田さん)

谷崎潤一郎から贈られた芸名

高校卒業後に帰京し、母と私は叔母夫婦の家で居候生活となりました。ある日、母と叔母夫婦から、改まった感じで「話がある」と言われましてね。

正座して聞く私に、東宝の演技研究所で勉強をしないかと言うのです。間髪を入れず「私には向いていません」と答えました。でも結局、流されるように入所することになったのです。

研究所で基礎訓練を受けているうちに、川端康成さんの小説が原作の『舞姫』(成瀬巳喜男監督)に出演することになりました。後から思えば、お膳立てができていたのかもしれません。

私の本名は田中鞠子ですが、芸名が必要だということで、プロデューサーと一緒に谷崎潤一郎先生のお宅に伺いました。谷崎先生と父は親友で、父の芸名をつけたのが谷崎先生だったからです。

谷崎先生は、父の芸名と同じ「岡田」という名字を書いた後に、「マリコ」と読める漢字をいくつか書き、好きな字を選びなさいと言われました。迷わず選んだのが、ジャスミンを意味する茉莉子でした。

私は撮影所に行くのが憂鬱で、この1本に出たらもうここに来なくてすむと、毎日自分に言い聞かせていました。ところが撮影が終わる頃には、次の作品が決まっており――そこで、覚悟を決めたのです。これからは人見知りで内気な田中鞠子を封印し、意志の力で《女優・岡田茉莉子》を演じよう、と。