一九三三年、日本統治下の台湾。ある事件により東京の雑誌社をクビになった記者・濱田ハルは、台中名家のお嬢様・百合川琴音のさそいに日本を飛び出し、台湾女性による台湾女性のための文芸誌『黒猫』編集部に転がり込んだ。記事執筆のため台中の町を駈けまわるハルが目にしたものとは――。モダンガールたちが台湾の光と影を描き出す連作小説!

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五 前編

 幸い腹痛は次第におさまったので、翌朝早く玉蘭と一緒にもう一度新富町市場を訪れたハルだったが、少女はいなかった。
 店は開いていたので、玉蘭が店番をしていた腹のでた中年の男に話しかけると、台湾語でなにかいって哀れむような表情を浮かべた。玉蘭が、少女の名前はシャオリンといって、いま近くのカフェーで住み込みで働く姉のところにいっているらしいとハルに説明する。玉蘭がハルのノートに書いてくれた少女の名前を表す「小鈴(シャオリン)」という漢字が妹と同じであることにハルは強い親近感を覚えた。
 午前中、編集部と市場をいったりきたりしてすごし、ちょうどお昼を食べたあと、ようやくハルは昨日と同じように椅子に座って教科書を読んでいるシャオリンをみつけた。昨日は気づかなかったけれど、シャオリンが何度も繰り返し口にだしているのは、たどたどしい日本語だった。