そんなふうに、表現されたものをストレートに読むだけでなく、へそ曲がりに解釈するのが俳人の性格なんですね。今回の3篇には、夫の存在感がほとんどありません。まあそれは、書かないことに意味があるんじゃない、と私は考えるわけです。

別れたのかもしれないし、死別したのかもしれません。でも、もし悲しみやつらさを抱えた妻たちの声に夫が耳を傾けてくれない、あるいは「お前の実家のことだろう」とか「いつまでメソメソしているんだ」と拒絶されたとしたら。

書かないのか、書けないのか、書くのも嫌だったのか。そんなふうに深読みしながらノンフィクションを読むのも、また一興ではないでしょうか。

私は俳句の実践講座などで、「一人カラオケにならないように」と伝えています。自分の書いたもので、自分だけが気持ち良くなっていやしないか。他の人の目を意識して推敲することで、作品としての精度はぐっと高まります。

もう一つ、俳句という短い表現で勝負してきた私からのアドバイスとしては、自分で文字数の制限をつけて書くほうが絶対にうまくなる。ネットで発信するように何文字でも書けるという環境に甘えず、このテーマなら何文字で書こうと、びしっと決めて書いてみると良い練習になりますよ。

上達など目指さずに、自分の好きなように書けばいいという考え方もあると思います。でも腕を上げれば、自分の気持ちが正確に上手に伝わるようになる。ノンフィクションであれ俳句であれ、その喜びを知る人が少しでも増えることを心から願っています。

 

 

 


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