中沢啓治『はだしのゲン』
ミサヨさんが一番好きなシーン(『はだしのゲン』第2巻より)。「孤児の隆太がゲンの家に置いてもらえることになった時、喜んだ隆太がゲンの母の肩をもんであげるんです。ほかにできることがないから、って。このシーンを読んだ時は涙が出ました。子どものいじらしさ、優しさを夫はよくわかっていました。だからこそこうして作品に描けたのだと思います」(ミサヨさん)

 

20ヵ国を超える言語に翻訳されて

原爆は人災です。戦争が起きなければ、原爆は使われないわけです。だから、もう絶対に戦争を起こしてはいけない。そのことを伝え続けなくては、という強い信念があったからこそ、夫は苦手な講演も引き受けたのでしょう。

『はだしのゲン』が単行本になった時、確かどこかの教職員組合から講演を頼まれて、最初は断るつもりだったんですよ。でも、短い時間でもいいからと熱心にお願いされ、引き受けたところ、やっぱり体験者の語りは心に響くと言っていただけて。「苦手なんだよなぁ~」と言いながらも、結局、30年くらい講演活動を続けました。

『はだしのゲン』を描き始めたのは34歳の時で、13年かけて描き上げました。漫画はもちろん、講演も含めて、『ゲン』はまさにライフワークでしたね。

外国語にも翻訳されましたが、最初はロシア語でした。浅妻南海江さんという方が、学生時代から学んでいたロシア語能力を生かし、何人かで力を合わせて7年かけて全10巻を翻訳してくださったのです。

浅妻さん、うれしいことをおっしゃったんですよ。「この『はだしのゲン』は、10巻まで訳さなきゃ意味がない」って。