頼朝の本当の姿は?

では本当の頼朝は、どのような姿をしていたのだろうか。

東京大学名誉教授の黒田日出男氏は、甲斐善光寺(甲府市)の木像が唯一、鎌倉時代に頼朝の姿をかたどったものだと述べる。

妻の北条政子が信濃善光寺へ寄進したのだという。

神護寺の肖像画とはまったく似ていないが、野性的な威厳のある顔立ちをしており、征夷大将軍としてふさわしい。

近年、小中学校の歴史教科書では、この肖像を頼朝として紹介するケースも増えてきている。

※本稿は、『逆転した日本史~聖徳太子、坂本竜馬、鎖国が教科書から消える~』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

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逆転した日本史~聖徳太子、坂本竜馬、鎖国が教科書から消える~』(著:河合敦/扶桑社)

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教科書を切り口にした歴史の新説、教科書では紹介されない不都合な日本史……。

高校歴史教師歴27年、「世界一受けたい授業」でもおなじみの河合敦先生が解説。